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土地の話 -パート2-

熊澤治夫 熊澤治夫 | laCASA CEO

2017.11.12 建築


これは何の地図か分かりますでしょうか?

以前、私が徳川園で見て写真を撮ったものです。地図の右上には西暦717年と記され、その頃の愛知県尾張周辺の地図になります。717年というと『泣くよウグイス平安遷都が794年』ですから、平安時代の80年近く前の時代。平城京に都が移されて、法隆寺や出雲大社が造られた頃です。

 

元来、愛知県の尾張辺りの地域(濃尾平野)は木曽川、長良川、揖斐川の大きな三つの河川の扇状地であることは皆さんもご存知の事であり、長野や岐阜の山々からの川の流れによってもたらされた肥沃な土の堆積により平野部が形造られていった事が良く解る地図となっています。地図を良く見てもらうと判るのですが、現在の一宮辺りの中島郡、枇杷島、津島、長島などは地名の通りで、伊勢湾に浮かぶ島であった事が良くわかります。また、津というのは港を表していますし、清州などは洲となっていたり、崎という地名の所などは海に向かって伸びていた土地であったと思われます。現在の名古屋市辺りはこの時代には殆どが海の中であったという事も判ります。

 

もうお判りだと思いますが、皆さんが土地を探したり買ったりする場合に参考にして頂きたいのは、地名の由来や意味です。この古地図では平野部が形造られる過程での地名でしたが、古地図をみて判るように想像を掻き立てる興味ある地名は、皆さんが住んでいる辺りにも沢山あるのではないでしょうか。岐阜県各務原市の「鵜沼」は、沼地に鵜がたくさん住んでいたんでしょうか? その鵜沼のちょうど脇を流れる木曽川で続く鵜飼の鵜は、鵜沼にいたんですかね?「赤池」などの○○池とはそのまま池が有った所で、赤池は赤色の藻類が生息していて池が赤く見えていたのかも?しれませんね。

 

ここで注意しないといけない事は、平野が徐々に広がり形造られていく過程で島が大きくなったりくっついたりもするし、新たに港となる所も出来てきたり、池や沼そして洲も出来てきたりするということです。以前までは海の中であった名古屋市の上前津もいつの時代かに海辺となり港となっていたんでしょうね。瀬戸も海辺、鳴海も海辺、岩崎なども海辺だったんでしょう。

 

現在でも名古屋市の南区、港区などはビルを建てる際には地下20メートル以上も杭を打ったりする場所が多いです。一般的な木造住宅の場合には1平方メートル辺りで1トン程度の地耐力でよいので、地盤改良や杭基礎とすればそんなに心配するには及びませんが、土地、住宅とは別に工事費がかさみますので土地選定時には注意する必要があります。そうした知識はなかなか不動産屋さんやハウスメーカーでは持ち合わせていません。むしろビルや土木工事を行うゼネコンが詳しいと思います。いったん購入すると、車のようには買い換えが出来ない土地です。ハウスメーカーの営業や不動産屋さんに勧められるままに、あわてて土地を買ってしまわないようにして下さいね。

前回のコラムでもいいましたように、

先ずは「1.暮らしを考える 」そして「2.家を考える 」最後に「3.土地を考える」ですよ!!!

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